
トラベルライター・エッセイスト・翻訳家 18歳からバックパッカー、ツアーコンダクター、その後トラベルライターとして101ヶ国1000都市以上を訪れ、現在記録更新中。
26歳で結婚するものの、夫が5人目の愛人と出奔、子どもが2歳と6歳のときに離婚。その顛末を『小説すばる』で
連載し、『リコン日記。』(集英社文庫)として出版。その後、さまざまな媒体に結婚・恋愛・離婚についてのエッセイを書く傍ら、翻訳も手がける。翻訳書に『空飛ぶトナカイの物語』(集英社)『スピリチュアルティーチング』(KKベストセラーズ)『人生の本質―ザ・ブック・オブ・シークレット』(ダイヤモンド社)など。
また、Room to Read というNGOを通して、発展途上国の女性の識字率を上げる活動をしているほか、親がいない子どもたちの支援活動をするNPO ISSHO の代表を務める。
世界中で美と健康を追求する旅レポート「たびたび美旅30000マイル!」はこちらで読めます。 http://ourage.jp/column/series/334/
「どうしてもアメリカへ行きたい」
と思ったのは12歳のときでした。
「アメリカなんて危ない国はだめだ!行くなら勘当だ!」
と父に激怒され
「では、これまで大変お世話になりました」
といって、アルバイトで貯めたわずかなお金とスーツケースをもって家を出て、半年間帰らなかったのは18歳のとき。
それがすべての始まりでした。
私はアメリカを半年放浪し、旅することに魅了され、ずっと世界中を放浪し続け、いつしか旅を仕事にし、これまでに101ヶ国1000都市以上を訪れました。
数えきれないほどの旅の中で、人生に大きな影響を与えた旅がいくつかあります。今回は、そのうちの3つの旅のお話です。
父に勘当されても決行したアメリカ旅行は、大変な貧乏旅行でした。
旅の終わりに訪れたサンフランシスコでは、空きっ腹を抱えてフィッシャーマンズワーフの埠頭で行き交う人をぼーっと見ていることが何日もありました。
ただし、空腹で落ち込んでいたわけではなく、
「私はアメリカにいるんだ。すごいすごい!!」
と驚きと発見に満ちた毎日に静かに感動していました。
ある日の夕暮れ、白髪の老夫婦がやってきて、砂浜に座るとバスケットからワインとワイングラスをふたつ取り出し、おしゃべりを始めました。
そのうち、ぼんやり座っていた私を誘ってくださり、パンやチーズをご馳走してくださいました。
おふたりは、学生時代に出会い、結婚52年目。3人のお子さんたちは独立し、違う街に住んでいるということでした。
「私たちは学生時代からの大親友なのよ」
と奥さんのエレンは言いました。
「結婚して一番良かったのは、子どもを育てたことね。子どもを育てるって、すっかり忘れていた小さな頃の感動を、もう一度新鮮に体験できるってことなの。本当に楽しかったわよね、あなた」
日がすっかり暮れると、ふたりは手をつないで、ゆっくりと帰っていきました。
それから数年後に「結婚するかどうか」その後「子どもを産むかどうか」という選択を迫られたときに、決断を後押ししてくれたのはエレンの言葉でした。
猛烈サラリーマンで横暴な父と、父に振り回されていた母を見て育った私は、それまで結婚にも出産にも夢を見た事がありませんでした。
でも、あんなステキな夫婦になって、子どもを産んで、幼い頃のキラキラした感動をもう一度取り戻せるなら、やってみようと思ったのです。
残念ながら結婚は大失敗に終わりましたが、子どもを産み、育てたことには感謝してもしきれません。
次の目標は、いつか真っ白な髪をきれいなシニヨンに結って、ステキなワンピースを着て、愛する夫と夕暮れの浜辺を手をつないで歩くこと。バスケットにはクリスタルのグラスとワインを入れて。
ちなみに、結婚が大失敗に終わった経緯を綴った話は本になり、私は小さい頃からの夢だった「物書き」になることができました。人生はステキなチェインリアクションによって綴られているのです。
ネゲブ砂漠の夜空には、巨大な星がぎっしりと隙間なくまたたいていました。
東京だったら
「あ、あそこに北斗七星がある」
なんて点々と散らばる星を数えたりできますが、砂漠の夜空は違います。
巨大な月と数えきれないほどの星が強烈に輝き、砂漠の向こうまで見わたせるほどの明るさです。私は、圧倒的な美しさにため息をつき、夕食に招待されていたベドウィンの一家のテントに入っていきました。
暗い電球がひとつぶら下がっているテントの中には、絨毯の上に横たわってプカプカと水タバコを吸っている族長と走り回っている大勢の子どもたち。
「子どもは15人か16人くらいいるはずだ」
驚いたことに、ご主人は、子どもが何人いるかよくわかっていませんでした。
「妻は3人。若い妻をもらったら、1番目の妻と2番目の妻が不機嫌になって困っている」
不機嫌な1番目と2番目の奥さんたちには会えませんでしたが、一番若い3番目の奥さんが、 らくだのシチューを作りながら、ぽつぽつと話をしてくれました。
「世界にはいろいろな国があるんでしょ。ガイドが連れてくるお客さんが話してくれるの。私は洞窟で育って、羊10頭と引き換えに13歳でお嫁に来て、子どもを産んだの。だから洞窟とこのテントしか知らないのよ。
いつか、ここを離れて別の国に行きたい。文字を習って本を読みたいの。うちには本が3冊あるのよ」
写真を撮らせてもらったときに、フラッシュの光に浮かび上がった顔は、泥で汚れてはいたものの、はっとするほど若くてきれいでした。たったの15歳だったのです。
洞窟とテントしか知らない、13歳で羊と引き換えに結婚、文字を読めないという人生のすべてが衝撃でした。
その後、世界中の女の子が学校へ通い、人生を自分で選択できるように支援するボランティア活動を始め、現在は3つの団体に参加。私の大事なライフワークとなりました。
今年の2月、友人たちと長年の念願だったペルーとボリビアへ行ったときのことです。
ボリビアに入った当日、もっとも標高の高いラパスで、メンバーのうちふたりが高山病になりました。ひとりは頭痛と呼吸困難、めまいなどの症状が強く現れ、歩くこともままなくなり救急病院へ搬送。もうひとりも頭痛や下痢を伴う症状に悩まされICUへ。なんとか回復したふたりがホテルに戻り、翌日ヨロヨロとウユニに到着。
そんなこんなで、なんとかたどり着いた我々ですが、ウユニ塩湖のほとりで、まさかの出会いがありました。
人生に対するビジョンをすっかり変えることになった4人の日本人スーパーアンチエイジャー、年齢は65歳、73歳、74歳、76歳!
全員日本マスターズ水泳協会のメンバーとして世界各国の大会に出場しては、メダルを獲得している現役水泳選手であり、水泳だけではなく、テニス、ダンス、登山、ダイビングを趣味とし、週に3回以上は運動をしているという偉大な方々でした。
「高山病ねえ……。なったことないなあ。ネパールで一週間トレッキングしたときも大丈夫だったしねえ」
「さすがにラパスに到着したときにくらっとしたから、一泊目はお酒を控えたの。ワイン4本でやめといたのよ」
……ワイン4本で、おひとり1本じゃありませんか……
心肺機能だけではなく、なんて丈夫な肝臓でしょう!
ツワモノたちの話に、恐る恐る旅をしてきた軟弱アラフォー&アラフィフ4人とも呆然です。すっかり怖れ入った私は、すぐに弟子入りをしましたが、なんせ先輩方の方がお元気なので、なにかとお世話をされる始末です。さらに、先輩方は10年先までの試合と旅行の予定をびっちり入れていらっしゃるのです。
出発前は「ボリビアの高地を旅行するのは年齢的にぎりぎり」などと言われ「60歳になったら、旅行もムリなのかなあ」なんて心配していたのに、
(90歳くらいまでは大丈夫なんだ!)
と思えたことは、旅先の出会いがもたらしてくれた“人生への夢と希望”という素晴らしい贈り物でした。
それから、私は週に2回は必ず運動をしています。
これからあと30年元気に旅をするために、運動が欠かせないことをウユニ塩湖で学んだからです。
こうして旅は、仕事、結婚と出産、ライフワーク、未来のビジョン、日々の生活習慣にまで影響を与えてきました。
日本にいては決して見る事のできない、信じられないような景色を見て、驚くような人と出会い、寂しさに胸がつぶれるような思いをして、愛する人がいることのあたたかさを知る。
それが旅の魅力です。
これからもずっとずっと旅ができますように。まだ行ったことのない国を全部見たあとは、宇宙にも行けますように。
そして、旅で学んだことをきちんと活かし、死ぬまで進化を続けられますように。
それがこれからの私の目標です。
さて、みなさまの思い出に残っている旅は、どんな旅でしょうか?
今日は、記憶の中に埋もれている大事な旅の記憶を、最初からたどってみませんか?
忘れかけていた愛や希望、若い頃抱いていた夢を思い出すために。
だってね、いつからでもできるんです。
もう一度、愛や夢を取り戻し、実現することは……。