 鬼怒川温泉から、日光市営バスに乗り込む。
川治温泉を過ぎると、車窓の外は重なり合う山また山の風景に変わった。バスは鬼怒川沿いの曲がりくねった山道をなおも登る。ハイライトは吸い込まれそうな深い渓谷、
瀬戸合峡(だ。周囲の峰々が幽玄の美をかもし出し、水墨画の世界を思わせる。バスに揺られること1時間45分、終点の
女夫淵(温泉に着いた。 ここは鬼怒川の源流部に近い。目指すは奥鬼怒の秘湯群の中でも最深部に濃い湯煙を上げる手白沢温泉である。鬼怒川本流沿いの八丁の湯、加仁湯(
、日光沢温泉とは谷が異なり、支流の手白沢の溪畔に位置する。標高約1500メートル、奥鬼怒四湯の中で一番の高所に湧く。しかも手白沢へは、マイカーで来た場合でも女夫淵から歩かなければならない。環境保全のために環境省がマイカーの乗り入れを禁止しているからである。女夫淵から手白沢まで片道6キロ。2時間の登りの山道を自分の足だけを頼りに歩かなければならないのだ。だが、ブナ、カツラ、ナラなどの原生林のなか、野鳥のさえずりに耳を傾けたり、道端の山野草を愛でたりしながらの軽登山で流す汗は格別のものだ。
加仁湯の手前で林道を分かれ、ブナが生い茂る山道を更に登ると、沢音が耳もとに届いてきた。手白沢の渓流である。やがて樹間に茶系色の平屋の建物が現れた。 本物の自然のよさが分かり、そのうえ料理にもこだわりのある方が主なお客さんですね。一見、何もない。ところが自然に関心のある方には、木があり、花があり、鳥がいて、昆虫がいる・・・」と、一軒宿「手白沢温泉」三代目の主、宮下千早さんは言う。 片道2時間も山道を歩かなければならない秘湯の宿といっても、平成9年に全面改築されたという6室から成る館内は、実に洗練されている。昭和10年の創業当時からの、ひなびた雲上の温泉の面影はこれっぽっちもない。下界の気のきいた湯宿が、山の上の別天地に引っ越した感じなのである。
夕食も地場の食材をふんだんに使ったフランス風料理で、一皿ずつ供されるといった具合だ。テレビも新聞もない。だが心身を再生させるためにこれほどうってつけの温泉宿は他にないだろう。 肝心の風呂だが、これがまた凄い。サワラの白い木造りの脱衣室から、ワイドな窓ガラス越しに内風呂と露天風呂まで見通せる。御影石で縁取りされた大浴槽から、ふんだんに山の湯があふれている。白い湯の花が浮かぶ単純硫黄泉のシルクのような感触は、この雲上の秘湯まで歩いてやって来た女性への最高のご褒美だろう。
女性露天風呂にはいっさい囲いが無い。本物の自然に抱かれている証拠といっていいだろう。一方、女性風呂より大きな男性露天風呂には、頭上の半割りの丸太から豪快に山の湯が落下していた。目の前に立ちはだかる
大割山
(
を眺めながら湯船に身を沈める。するとここまでの道のりが、一瞬のうちに忘却のかなたに消え去ってしまったように思われた。
温泉データ: 手白沢温泉
電話: 0288-96-0156
住所: 栃木県日光市川俣870-2
料金: 1泊2食付 13,500円〜(2名1室利用) (外来入浴不可)
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