

今年の大河は明智光秀!
これまでの歴史では、明智光秀といえば
「主君・織田信長を討った謀反人」。
しかし近年では、文武に優れ、
臣下や民の信頼も厚かったという説が提唱され、
天下人としての評価に変わりつつある。
そして2020年の大河ドラマでは
ついに「主役」となる。
岐阜県には、8つの市町に光秀自身や
光秀をとりまく人物ゆかりの地があるが、
その中で、生誕の地の一つと言われる
可児市から彼の足跡をたどった。
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- 明智 光秀
1556年、明智城とともに一族は滅ぼされたが、「明智の再興」という悲願を託され、30歳の光秀だけが逃げ延びる。 織田信長に取り立てられ数々の手柄を残すが、1582年「本能寺の変」を起こし、信長を自害に追い込む。 そのわずか11日後に山崎の戦いで秀吉に敗れ自害する。出生については多数の説が存在する。
可児市
光秀、青春の地か!?
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名鉄明智駅。無人のその駅に降りると、明智城跡があるなだらかな山が遠くに見える。 一帯は光秀のルーツであるとされる土岐氏が治めていた明智荘だ。 田畑が広がり人々が静かな暮らしを営んでいるのが伝わってくる。 15分ほど歩くと明智家の住居だった西屋敷、大屋敷、東屋敷エリアに着く。 光秀産湯の井戸跡の解説板があり、近くでは堀の跡も発見されている。子どもの頃の光秀が、斎藤道三の娘でのちに織田信長の正妻となる従妹の帰蝶(濃姫)と遊んでいたかもしれない場所だ。
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光秀は30年間ここにいたのか……
未知の城跡へ、いざ行かん。明智城跡のふもとに明智家の菩提寺、青雲山天龍寺がある。 界隈は狭いエリアに寺や神社が数多くあって、ここが重要な場所だったと推測できる。当時の知識人であった僧侶たちに、思想や学問、礼儀などを教わって成長した光秀が、知性と教養にあふれた武士だったというのも納得できる。天龍寺は曹洞宗。禅宗の一派として、座禅や問答によって深く自己を見つめる青年時代を送ったのではなかったか。 天龍寺で出会った人に明智城跡への登り口を訪ねると、すぐそこだと案内してくれた。近くの町に住み、知り合いに依頼されて明智城跡を案内してきたという。今はまだあまり知られていない明智城跡も、大河ドラマの放送が始まれば注目度も上がり、一躍「時の場所」となることだろう。 光秀の青年期がドラマに描かれた今だからこそ、行く価値がありそうだ。
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霧雨のなか、大手門をくぐり、苔むした石畳の桔梗坂をひとり歩く。 鳥の声だけが聞こえる静かな山道を光秀はきっと幾度も走り抜けたことだろう。 息が荒くなった頃に坂が途切れ、明智城跡二ノ丸曲輪に到着。 城跡自体は標高170mほどだが、荘園一帯が見渡せる。 幼い頃に父を亡くし、叔父らに守られて暮らしていた光秀は、寂しさを紛らわすよう に、将来自分が治める土地をここから眺め、「城主の景色」を先取りしていたのかも。
岐阜市
光秀が「天下」を意識した場所
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岐阜城は堅牢な軍事要塞でもあり、
天空のゲストハウスでもあった。岐阜城へは、名鉄またはJR岐阜駅から路線バスで向かう。車窓から見える商店街がにぎやかで途中下車したくなる思いに駆られながら、ふと見上げると金華山の上に城が見えた。青空を背景に威厳あるその姿は美しい。
岐阜城は、かつては稲葉山城と呼ばれ、光秀の叔父にあたる斎藤道三が城主だった。 青年時代の光秀は、権力を手に入れるためにあらゆる手段を講じた“まむしの道三”とその父を冷静に見、学ぶべきところは学んでいたはずである。
1568年、光秀の仲介により織田信長と後の15代将軍足利義昭が、岐阜の立政寺で謁見。 信長の野望と権力への執着を見るにつけ、明智家復興への決意を新たにしたことは想像に難くない。 ふもとの岐阜公園でバスを降り、ロープウェーで山頂駅まで約4分、ロープウェー乗車中に眼下に見える信長の居館跡は発掘調査中だ。 家来も滅多に中に入れないほど厳重な警備を施し、絢爛豪華な設えの「地上の楽園」だったと宣教師が書き残している。信長が客人をもてなす場でもあったという。


眼下に広がる「国盗りビュー」。
ロープウェーを降りて山頂の城まで徒歩約8分。城へ向かう道には、自然石を使った野面積みの石垣、井戸、堀切が残っており、歴史の重みは見ごたえ満点。 復興された安土桃山時代の城の中に、戦国時代や信長ゆかりのものが展示してあるが、なんといっても展望室から見渡す濃尾平野と長良川は圧巻だ。 城を中心に360度、敵の動きも一目瞭然。「美濃を制するものは天下を制する」という言葉の意味を実感する。 光秀もまた、ここから京の都へ思いをはせ、天下取りを決意したのだろう。
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のちに光秀は近江国の大名となり、丹波平定、石山本願寺との和睦など、歴史に名を残す武将になっていく。本能寺の変を起こして天下を獲り、そのわずか11日後に明智家滅亡になろうとは、このときは夢にも思い描いていなかったはずであろう。
謎多き武将、明智光秀が生きた軌跡をたどり、あれこれ想像しながらめぐる岐阜の旅は、知れば知るほど「もっと知りたい」と思わせる魅力にあふれていた。
恵那市
戦略に長けた光秀公のルーツが残る恵那市へ。
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岐阜県の南東の端にある恵那市。 その中心部から延びる明知鉄道の終点に「明智駅」があるが、一帯もまた光秀ゆかりの「生誕の地」であると言われている。光秀公の「産湯の井戸」や「学問所」「手植えの楓」、光秀公の母「於牧の方の墓所」などの名所を街散策がてらゆっくりめぐろう。

